2012年 01月 06日
身体の構造 |
「人間が社会構造を作り出すのではなく、社会構造が人間を作り出すのです。」という話を読みました。なるほどなー。と。
凄く想像が膨らんだ。
これの例によると、人間は生まれたときから人間なのではなく、ある社会規範を受け容れることで、人間になる。と書いてありました。
でも、こう考えたほうが面白いのではないか?と思いました。"人間身体が持っている構造が、社会構造を規定している"。。。
たとえば、僕らは、赤ちゃんとして生まれてきました。赤ちゃんは、凄く弱い。生まれたてのときは、保護器みたいのに入れられて、感染症を起こさないよう配慮されたり、しばらくは、歩くこともできませんし、食べ物も自分ではどうにもできません。だから、家族で守りながら育てます。こういう大前提を人間は持っています。
これが、もし、ポーンと出てきて、いきなり走り回ったり、しゃべったり、筋肉もりもりの元気な大人が産まれるのだとしたら、今とは全然違う"家族"の形があるに決まっています。結婚という形もなければ、夫婦という形もないかもしれません。人間は、赤ちゃんという状態で生まれてくることによって、きっと様々な諸規定を決めているのです。家族の形が変わるということは、コミュニケーションや、労働の形も、全く変わってしまうでしょうから、産まれ方を変更すれば、全く違う宇宙人みたいなものを想像することができます。
他にも、平均年齢が1000歳くらいだったらどうでしょうか。僕らはたいてい、80年くらい生きれば十分で、100歳まで生きれば、凄いことです。この大前提が違えば、全く違う発想が生まれるに決まっています。基本的に、今を生きている人間は、老後の保証を考えるだけですが、それは、地球が存在していることを暗黙のうちに含んでいます。1000年以上生きるのが当たり前だったとしたら、地球の環境の変化に対しての予防策をこの現実よりももっと考えているでしょう。
こういうような、人間自信が持っている生命の構造が、社会構造をつくっているとも言えるなーと考えました。この生命の構造が維持される限り、どーせずーっと似たような出来事が起こるんだ!と。
この生命の構造が維持できない状態。それは、たぶん、人類が滅亡するときですよね。例えば、1万年後くらいのテレビニュースを考えてみましょう。『あけましておめでとうございます。昨年も不作が続きました。気温の変化、それに伴う食料の確保のさらなる困難により、人類が絶滅する可能性があります。人類の数は1万人以下になりました。20年後には100人以下になるという統計が出ています。』。。。。
こういうことだってありえますよね〜。もし、こういう状況になったとき、たぶん、家族の形は変更され、赤ちゃんというものが、政治的に造られるはずだと思うんです。機械で受精させるみたいに、人間をどんどん大量生産しよう!となるのではないかと。人類復古の大号令がかかるのです。今のようなクローンに対しての批判的な倫理観が変更されて、人類の維持というものが現世以上の共通理念になるはずです。血縁を維持するという考え方は、ずーっと続いている考え方ですけど、こういう極限状態になれば、より強化されていきます。こういう極限状態では、変わった仕事も存在しているでしょう。ほとんどの人間は、ニワトリ小屋みたいな所で、受精卵をつくるための材料を提供するアルバイトに毎日行きます。お国のためではなく、人類のために、週5日みっちり働きます。このような状態になれば、国も関係ありません。全部統合されて、1つの人類共同体を創ろうという思想が働くでしょう。一部の滅亡推進派が、武装するも結局は、鎮圧統合。合言葉は、ルネサンス(古代の再興)。
と。
。。。。
他にもいろんなパターンが考えられ想像は止まらないわけです。
とにかく、今を規定し、僕達を縛っているのは、僕達の持っている、身体や生命の構造なのではないかと。。。もちろんそれは、先ほどの極端な例のように環境の変化で変わります。こういう極端な例だと分かりやすい変化を想像できるんですが、たぶん、今までも生命の構造は変更されてきたんだろうと思うんです。それには例えば痛みの例があります。大相撲の人達が体罰のことであーだこーだ、なっていますが、ひと昔前は、同じことをしても体罰になりません。また戦時中には、現在の日本人より痛みに強い人間が多かったらしいです。今なら絶命するような負傷を負っていても、戦いに行く人もいたでしょうし、切腹とか集団自決のようなことができる人達もいるのです。古代ギリシャやローマ人の生命観や、中世キリスト教の生命観、バラモン教の生命観、古代エジプト人の生命観、貴族と奴隷の生命観、現代人の生命観、、、と、たぶん同じような赤ちゃんが産まれたとしても、違う生命の構造があったのだろうと思います。
身体というものは、あるモノですが、生命を規定しているものは見えずらいものです。生命の構造を規定しているのが精神であったり、環境であったり、歴史であったり、はたまた、身体の持つ構造であったりと、、、いろんな見方があるようです。でも、やっぱりあるんですよね。まーそれは、生命を肉体と一緒のものと考えればですけど。。。死んだら燃えて、灰になります。。。。
あー。
そういえば。。
焼いたら灰になるという身体の構造も、社会の構造をつくっていそうだなー。。。
と。
止まりません。
あー。
楽しいな楽しいな〜。
妄想が1番楽しいな〜。
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凄く想像が膨らんだ。
これの例によると、人間は生まれたときから人間なのではなく、ある社会規範を受け容れることで、人間になる。と書いてありました。
でも、こう考えたほうが面白いのではないか?と思いました。"人間身体が持っている構造が、社会構造を規定している"。。。
たとえば、僕らは、赤ちゃんとして生まれてきました。赤ちゃんは、凄く弱い。生まれたてのときは、保護器みたいのに入れられて、感染症を起こさないよう配慮されたり、しばらくは、歩くこともできませんし、食べ物も自分ではどうにもできません。だから、家族で守りながら育てます。こういう大前提を人間は持っています。
これが、もし、ポーンと出てきて、いきなり走り回ったり、しゃべったり、筋肉もりもりの元気な大人が産まれるのだとしたら、今とは全然違う"家族"の形があるに決まっています。結婚という形もなければ、夫婦という形もないかもしれません。人間は、赤ちゃんという状態で生まれてくることによって、きっと様々な諸規定を決めているのです。家族の形が変わるということは、コミュニケーションや、労働の形も、全く変わってしまうでしょうから、産まれ方を変更すれば、全く違う宇宙人みたいなものを想像することができます。
他にも、平均年齢が1000歳くらいだったらどうでしょうか。僕らはたいてい、80年くらい生きれば十分で、100歳まで生きれば、凄いことです。この大前提が違えば、全く違う発想が生まれるに決まっています。基本的に、今を生きている人間は、老後の保証を考えるだけですが、それは、地球が存在していることを暗黙のうちに含んでいます。1000年以上生きるのが当たり前だったとしたら、地球の環境の変化に対しての予防策をこの現実よりももっと考えているでしょう。
こういうような、人間自信が持っている生命の構造が、社会構造をつくっているとも言えるなーと考えました。この生命の構造が維持される限り、どーせずーっと似たような出来事が起こるんだ!と。
この生命の構造が維持できない状態。それは、たぶん、人類が滅亡するときですよね。例えば、1万年後くらいのテレビニュースを考えてみましょう。『あけましておめでとうございます。昨年も不作が続きました。気温の変化、それに伴う食料の確保のさらなる困難により、人類が絶滅する可能性があります。人類の数は1万人以下になりました。20年後には100人以下になるという統計が出ています。』。。。。
こういうことだってありえますよね〜。もし、こういう状況になったとき、たぶん、家族の形は変更され、赤ちゃんというものが、政治的に造られるはずだと思うんです。機械で受精させるみたいに、人間をどんどん大量生産しよう!となるのではないかと。人類復古の大号令がかかるのです。今のようなクローンに対しての批判的な倫理観が変更されて、人類の維持というものが現世以上の共通理念になるはずです。血縁を維持するという考え方は、ずーっと続いている考え方ですけど、こういう極限状態になれば、より強化されていきます。こういう極限状態では、変わった仕事も存在しているでしょう。ほとんどの人間は、ニワトリ小屋みたいな所で、受精卵をつくるための材料を提供するアルバイトに毎日行きます。お国のためではなく、人類のために、週5日みっちり働きます。このような状態になれば、国も関係ありません。全部統合されて、1つの人類共同体を創ろうという思想が働くでしょう。一部の滅亡推進派が、武装するも結局は、鎮圧統合。合言葉は、ルネサンス(古代の再興)。
と。
。。。。
他にもいろんなパターンが考えられ想像は止まらないわけです。
とにかく、今を規定し、僕達を縛っているのは、僕達の持っている、身体や生命の構造なのではないかと。。。もちろんそれは、先ほどの極端な例のように環境の変化で変わります。こういう極端な例だと分かりやすい変化を想像できるんですが、たぶん、今までも生命の構造は変更されてきたんだろうと思うんです。それには例えば痛みの例があります。大相撲の人達が体罰のことであーだこーだ、なっていますが、ひと昔前は、同じことをしても体罰になりません。また戦時中には、現在の日本人より痛みに強い人間が多かったらしいです。今なら絶命するような負傷を負っていても、戦いに行く人もいたでしょうし、切腹とか集団自決のようなことができる人達もいるのです。古代ギリシャやローマ人の生命観や、中世キリスト教の生命観、バラモン教の生命観、古代エジプト人の生命観、貴族と奴隷の生命観、現代人の生命観、、、と、たぶん同じような赤ちゃんが産まれたとしても、違う生命の構造があったのだろうと思います。
身体というものは、あるモノですが、生命を規定しているものは見えずらいものです。生命の構造を規定しているのが精神であったり、環境であったり、歴史であったり、はたまた、身体の持つ構造であったりと、、、いろんな見方があるようです。でも、やっぱりあるんですよね。まーそれは、生命を肉体と一緒のものと考えればですけど。。。死んだら燃えて、灰になります。。。。
あー。
そういえば。。
焼いたら灰になるという身体の構造も、社会の構造をつくっていそうだなー。。。
と。
止まりません。
あー。
楽しいな楽しいな〜。
妄想が1番楽しいな〜。
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by terae-art
| 2012-01-06 17:59
| ┣考え中