2015年 11月 03日
文化の日 |
今日は文化の日。
アトリエでは横川で撮影した映像の編集をしたし、そのあと、ストレスな労働をボランティアもした。それなりに今日の僕は文化的なことをしたはずだ。さすがアーティストだな。はは。ストレスの内容は、アフリカのパーティの撮影。撮影なので、普通に仕事な上に、客も主催者も飲んだり踊ったりしてるし、自分だけ仕事をしているような気になってきて辛くなった。まだまだボランティアは僕には早かったようだ。優しさと余裕が足りん。撮影の途中で、英語で話しかけてきた人がいて、今月末にあるパフォーマンスのイベントの映像を撮影してくれる人を探しているようだった。優しさと余裕が足りなくなっていた僕は、よく分からないという対応をして終えた。パーティを最後まで撮り終え、歩いて帰った。
帰る途中に、大砲ラーメンがあって久しぶりに入ってみた。ストレスを、炭水化物で埋めようとしたのだ。ちょうど昨日、炭水化物をしばらく控えようと思っていたのにだ。「そうとうなストレス状態で、内臓だか脳みそだかに必要なカロリーが行き渡らなくなっているなあ。これはよくない。」そうラーメン屋に入る前に言い訳を立てて、迷うことなく替え玉のチケットまで購入した。大砲ラーメンは、大分に住んでいたときも近くにあって、学生時代よく行っていた。こってりしたとんこつラーメンだ。福岡に来てからは一度も入ったことがなかったので10年ぶりくらいに食べたと思う。
こってりし過ぎていて油でべたべたするし、濃いとんこつのせいか油のせいか分からないが、クリーミーなスープだった記憶があったが、10年ぶりの味は少し違う感じがした。 箸とか紅しょうがが置いてある裏にラーメンについての案内が掲示されていた。その文章の中に、「当店のラーメンスープは、ノーマルな味付けでお出ししております、、、」などと書かれている。僕の10年前の記憶では、こういう情報は掲示されていなかったので、なるほど。やはり味が変わっていたのか。と替え玉をしたあたりでようやく気がついた。しかし、ノーマルな味付けとはなんだ!?意味が分からん。もの凄くたくさんのラーメン屋がある福岡で、ノーマルを求めるというのはどういうことなのか。例えば、280円ラーメンとか100円ラーメンとか言われるラーメン屋が、こういったことを書くのは分からんでもないが、600円とか700円とかの割と普通の価格設定で、ノーマルな味付けって何だよ!と優しさと余裕が足りなくなっていた僕は思った。僕の認識では日進のカップヌードルとか、チキンラーメンのようなインスタントラーメン業界が、庶民にラーメンの味を印象付けており、いわゆるノーマルな味というのはここからスタートしていると思うので、店舗で食べるラーメンにはノーマルな味付けを求めていないと思うのだが、いかが?
店内のポスターに書かれている文章によると、味は3回変わっているという。昭和28年の創業者の味、それを平成元年に受けついだ2代目の味、そして平成14年に2代目が新たな味にトライしているそう。ポスターの文章によると、「あえて第三紀と呼ぶべき時代を創ろうとしています。それは、第一紀、第二紀に培われたそれぞれの感性を融合させ、とんこつラーメンの到達点を目指すべき時代です。今、私たちは、人もお店もラーメンも、「守るべきもの」と「変えていくべきもの」があることに気づいています。」とのこと。
これを読んで、やはり今日は「文化の日」であるなあ。と、今日の一連のお仕事を終え、ラーメンすすりながら思うのであった。しかし、この「守るべきもの」「変えていくべきもの」という点と、「ノーマルな味」ということがもし関係しているのであれば、そんなものはクソだなと、まだストレスが抜けていない僕は思うのであった。本来、伝統や文化が更新される過渡期というのは、もの凄く荒っぽい出来事を通過しなくてはならず、ラーメンの到達点を目指すべきならばノーマルな味付けなどと言ってられないのではないかと思う。そのような荒っぽさを”ノーマルな味付け”という書き方からは、全く感じない。むしろ、僕の理解では、「守るべきもの」は、最低限の久留米ラーメンとしての味の保持であり、「変えていくべきもの」が多くの人に受け入れてもらえるノーマルな味に変えていく。という意味だと捉えた。つまり、伝統とか文化とかそういったものよりも、この市場経済の中で勝ち残る戦術を取ろうとしているのだと思うのだが、これは、あまり良い作戦ではないのではないかと。かってに思う、文化の日でありました。
そして、たぶん優しさと余裕は、筋力と関係しているのではないか。そうラーメンを食った腹に聞かせるのでありました。
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by terae-art
| 2015-11-03 22:48
| ┣考え中