2017年 05月 24日
日中国交正常化45周年 |
日本に対しての中国人のイメージとして、日本製品の品質の良さを挙げることができると思う。例えば化粧品やシャンプー、髪染めなどは素材への信頼度が高く、高値でも人気があるそうだ。品質が良い→なんで良いのか→人々の性質や社会システムなどの順番で日本人社会をよい方向で理解する仕方や学ぶような仕方はよくあるように思う。それと同時に、なんと言っても日本政府の対応などから、過去の戦争を思い起こし、日本の商品などをリスペクトする一方で日本人の内面を恐れている人が多い。またテレビで抗日ドラマが毎日放送されており、そのなかに登場する日本人は鬼子と呼ばれ嫌われている。ネットの書き込みによると日本で言うところの水戸黄門や暴れん坊将軍のような定番ドラマの位置づけのようだ。そのような中国人の日本人認識が続いているなかで、国交正常化45周年を記念した映画祭が両国で開催されるそうだ。映画などの日本人がつくった作品を輸出するというのはどういうことなのか。このことについて考えてみたい。
映画祭は日本の国際交流基金の企画によるもので、日本の文化政策を実際に行う組織と言ってよい。このような作品を通して、日本人的な視点や考え方などを輸出し、文化的な交流及び互いの国民がより良く理解し、協同していけるような未来を思い描いて企画を作られていると思われる。日中文化交流の要となる組織と言っても良いのではないか。実際に多くの中国の人々が感じている、現在の日本の政治経済による日本人像とは違う、文化交流による日本人像を輸出しているとも言えるだろう。
私たちが他国を理解しようとするとき、どのようにするのだろうか。政治・経済・歴史・文化など、その全体を通して理解しようとする。そのとき人々が理解しようとするは、国ではなく、その国に住む国民の性質なのではないか。日本ではなく日本人の性質として、政治・経済・歴史・文化の印象が人々に影響を与える。
文化交流には大きく分けると二つある、今回の映画祭のようなやり方とは別に、個人的な交流がある。この場合も、同じく文化交流と言われているが、実際には別物だと考えるべきだろう。少人数での関係では、この映画祭のような日本人の性質や思想の輸出としての交流ではなく、個人と個人の性質や思想の交流となる。一個人の持つキャラクターによる印象がこの場合の交流の中心となり、場合によっては、その印象を中心として相手の祖国全体へイメージを広げていくような文化交流となるだろ。しかし、映画作品などによる交流では、もともと人々が持っている日本人一般に対してのイメージと結び付きが強い。
先に触れた映画祭のことがニュースサイトに掲載されていた。それによると日本映画ブームが中国に来ているとのこと。今回選ばれている映画の多くは、日本人を題材にしているといってよく、ハリウッドやディズニーなどのような映画の輸出とは意味が違う。日本人的な視点や思想が題材になっており、それが輸出されるのだ。そう考えれば、ブームという言葉から、日本人の悪い印象が変化してある程度認められるようになってきたという理解の仕方もできそうだ。さらに、映画祭は中国版のツイッターのようなサイトであるウェイボーでも反響が大きく、チケットを増やす対応に現在おわれているとのこと。
このニュースを見て私は疑問に思った。実際に中国に住んでいて私が感じている、中国人の日本人に対するイメージは、決して良いとは言えないということがあるからだ。個人と個人による交流の場では、日本人というイメージよりも個人の持つ性質によって交流が行われるので、問題になりにくいが、この映画祭のような場合、中国人が持っている日本人一般のイメージを中国人が受け入れなければ、日本映画ブームとはなり得ないのではないかと思われたからだ。
政治・経済と文化は違うのだから、それは可能だと言われるかもしれない。しかし実際には組織的な興行による交流の場合、単に文化交流とは言いづらい、政治的な要素も同時に含んでしまうし、今回の場合、国際交流基金という国の機関による企画でもある。また、政治・経済による日本人像と、文化による日本人像は違うのだから分けて考えて良いとも言われるかもしれないが、日本人というイメージは、政治・経済・文化など様々なことを全て総合した時に浮かび上がってくるものなのではないか。人々がそれをいちいち分けて考えることができるとは考えづらい。また、このように乱暴に様々なことを纏めてイメージが作られるのではないのだとしても、中国人に対し、日本の政治が与えている日本人のイメージは、明らかに文化交流以上に強い印象を持つ。他国であれば、政治と文化は違うレイヤーで語れるのかもしれないが、中国においても同じように語れるのだろうか。
確かに実感として、若い世代は比較的日本人を無条件に嫌うような傾向は認められない。そのため、現在では若い世代を中心にこのようなブームが起こるようになったと言うことはできるのかもしれない。だが、少なくとも私が知り合った若い世代の友人の多くは日本の過去の歴史にも触れる質問を私に対してしてきたし、日本人を嫌いな人はいるよ、ということを教えてくる友人もいた。このようなことから、日本人に対して一定の恐れのようなものを持っていることは感じたし、彼らの多くは祖父母や両親の中に、日本人嫌いをもっている。日本映画ブームが起こる条件として、必ずしも肯定的な日本人像か必要だとは思わないが、現在の中国と、日本の関係において日本映画ブームという言葉をどのように考えれば良いのか分からないと思ったわけだ。
このような疑問を持ってしまうのは、文化交流という言葉が非常に政治色を帯びて感じられたからだ。本当の意味での交流を期待して行われている活動に違いないが、同時に政治性を帯びてしまう状況は、それだけ両国の溝を深いものとして捉えている自分自身に思い当たった。そして文化交流に関する言葉を選ぶことが大変難しくなっていることに気がつかされた。そのように私は感じているのだが、それでも、この映画祭が注目されたのはなぜなのか。実際に日本映画ブームということが起こっているとして、なぜ起こり得るのか。また、政治と文化は別のレイヤーで語られがちだが、そのことが意図していることはなんなのか。未だ、日中友好の文化交流は模索されるべきで、この国交正常化45周年が、人々により積極的な友好の作り方を模索する機会を与えるという意味で、人々の期待が日本映画ブームというような形で現れていると、理想的にとらえて終わりたい。
by terae-art
| 2017-05-24 14:41
| ┣考え中