2013年 10月 06日
隠岐窯 勇木史記 初陶展 |
陶器の展示のご案内を頂きました。
勇木史記展です。京都での展示だそう。11月3日〜11月9日まで。京都市の白沙村荘 橋本関雪記念館 で行われます。近くの方も遠くの方もぜひ。
僕は焼き物のことは、プロではないので、なんとも言えないですが。どういうわけか、焼き物の作家のアトリエには、縁があって、今までに数カ所お邪魔する機会がありました。その中でも、彼の作品は印象的で、自宅の土を焼き物にしているということに好感を持ちました。本人は、とても扱いにくい土だともアジがあるとも言っていました。沖縄で出会った陶芸家の方が言っていたことですが、たいがい、良い土が出る場所から、土を買ってくるそうです。だから、沖縄の作家でも、沖縄の土ではない土を使っている人もいるらしいです。なぜかというと、沖縄の土はクセがあって、少し扱いが難しいからです。そして、そういう作家が増えているとその人は言っていました。そうすると、沖縄の土ではない土で、沖縄の器を作っている人は、何焼きってことになっているんだろうなぁ〜と考えたりしました。
焼き物は、僕も大学で少しだけ勉強しましたけど、凄くデリケートでありながら、荒っぽさも持っているのが焼き物かなぁと思います。。。焼き加減とかで、随分色が変わったり、土によっても随分扱いが変わります。窯の温度の1度の違いや時間の違い、材料の違いで随分と神経を使う繊細さがありますし、制作の姿を見てもたいてい繊細な作業です。こういう部分を見ると、まるで科学実験みたいだなぁとよく思います。間違っても土粘土の泥を頭からかぶるような前衛美術的なことにはなりません。それとは逆に、土を焼けば固まるっていうことを発見した人類が、脈々と土を焼き続けてきたという、原始的な強さみたいなものや、荒々しさみたいなものも感じます。「焼きゃー固まるんよ〜。」って感じでガンガン燃やせば、とくに知識無くても、とりあえず焼き物はできちゃうわけですしね。
僕が思うに、陶芸家っていうのは、やっぱり、身の回りの自然物を扱って、それを形にしていく姿が、一番カッコいんじゃないかなと思っています。焚き火したり、山火事があったりして、たまたま土が固まることを知ったり、焼いてる最中にたまたま灰がかかったところが、ガラス質に変化したりと、焼き物ってそういう所からスタートしてるわけだから、もっと荒っぽいものであってもいいように感じることがよくあります。でもこういう意見は、工芸の持っている伝統の美しさとはまた別のものだと思います。伝統には伝統として別の良さがあって、それもまた良いものだなぁとおもいます。
しかし、勇木氏は、その両方をしているようにも言えます。彼は、隠岐の島に、隠岐窯を創りました。きっと昔は隠岐の島は沖縄のように、別の国だったわけだから、同じように独自の陶芸の文化もあったんではないかと僕は思っていますが、現在は、隠岐の島の陶芸家は彼くらいしかいないそうです。そんな中、一人で土を掘り、隠岐の島でしか創れない焼き物を作ってやろうとしているのだから、伝統とはほど遠い精神を持って、新たに開拓しているわけです。しかし、このような荒っぽい流儀があってこそ、伝統工芸というものが、伝統になり得たのだろうとも思います。
by terae-art
| 2013-10-06 21:56
| ┣見てきました