2012年 01月 09日
錦織圭はかっこいい。 |
最近、ネットでよくテニスの映像を見ている。毎日テニスをしていた大学生の頃は、撮りためたウィンブルドンなんかのビデオテープを繰り返し見ていたが、最近はネットで何でも見れる。テニスをしていた頃のことしか分からないが、東レオープン、ジャパンオープン、USオープン、ウィンブルドンくらいしかテレビでやらない。1回戦から放映されるのは、ウィンブルドンくらいだった。ネットでは、テレビであまり見ることができない大会のものがたくさんあるし、昔の名勝負なんかもたくさんある。
僕は、2005年までで、美術の方へ転向してしまったので、最近のテニス事情をあまりしらない。でも、錦織圭選手のことは、時々ニュースの短い映像を見ては興奮していた。彼は2007年にプロになったそうだ。
youtubeで、昔テレビで見て興奮したサンプラスやアガシやイバニセビッチなんかの名勝負を見た。その後に、見たことがないもっと昔のマッケンローやエドバーグやボルグやベッカーなんかの名勝負を見た。また次に、ナダルとかフェデラーとかロディックとか僕がテニスを引退する前後くらいから活躍するようになった選手の映像も見た。いろいろ見て、今日は錦織圭を見た。僕はまた久しぶりにテニスを見て感動してしまったわけです。
プロスポーツの世界は、30歳くらいで引退というのが当たり前になっています。身体的に過酷な世界です。だから、錦織選手もそうですが、当然小さいうちからプロを目指してたり、世界を目指していたりするような人達が集まっているわけです。美術の世界でもそういう年齢制限のようなものがなんとなくあります。スポーツと違うのは、"なんとなくある"ということです。スポーツの場合は肉体的な問題による年齢制限ですが、美術の場合は、それがなんなのかよく分かりません。
錦織選手は、5歳からテニスやってるそうです。小学生の頃には全国制覇して、中2でアメリカのテニスアカデミーへ。17歳でプロ転向。18歳でプロの大会を初優勝。現在は、世界ランキング25位ということでした。
この略歴や、世界一を目指している姿を見ていると、なんというか、、、俺は何をやっているんだろうか?もっと真剣に、本気で取り組むべきことがあるのではないだろうか?と、刺激を受けます。そして、妙に腹筋をしたくなったり走りたくなったりもします。しかし、美術の世界で、何をどうすれば、どうなるのかがよく分からないし、何をどうやって頑張ればいいのかも分からない。年齢制限の見えない壁も、あやふやだし、何がより良い作品なのかも分からない。美術が何のためにあるのかも分からない。どうやって食えるのかも分からない。。。だから、"なんとなく"頑張るしかない。正解が分からないから、さぐりさぐり頑張るしかない。
美術の世界でも、流通している作品があるわけだから、理解されている領域もあります。しかし、理解されにくい領域が多過ぎです。もう少し、芸術の自律を進めて、分かりやすくすることも、確かに大切なのかもしれないなーと、、、自由過ぎて不自由になっていたり、何でもアートになり得るという見方によって、自分で自分の首を締めているのかもしれないなぁと、思いました。芸術家が今よりもより頑張れるようになるためには、芸術をもう少しはっきりと規定する必要があるのかもしれません。寝ずに創るとか、めちゃめちゃ磨いてツルツルの何かを造るとか、すっごい考えてフンバッテ何か出すとか、そういう頑張り方しか知らないんですよね。僕は。。。錦織選手のような頑張り方と、それは何か違うと思うんです。僕のは、頑張り方が分からないから、とにかくもがいている、という感じがします。
結局何が言いたいのかというと、、、、
「もっと、カッコ良くなりたい。」
そういうことです。
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僕は、2005年までで、美術の方へ転向してしまったので、最近のテニス事情をあまりしらない。でも、錦織圭選手のことは、時々ニュースの短い映像を見ては興奮していた。彼は2007年にプロになったそうだ。
youtubeで、昔テレビで見て興奮したサンプラスやアガシやイバニセビッチなんかの名勝負を見た。その後に、見たことがないもっと昔のマッケンローやエドバーグやボルグやベッカーなんかの名勝負を見た。また次に、ナダルとかフェデラーとかロディックとか僕がテニスを引退する前後くらいから活躍するようになった選手の映像も見た。いろいろ見て、今日は錦織圭を見た。僕はまた久しぶりにテニスを見て感動してしまったわけです。
プロスポーツの世界は、30歳くらいで引退というのが当たり前になっています。身体的に過酷な世界です。だから、錦織選手もそうですが、当然小さいうちからプロを目指してたり、世界を目指していたりするような人達が集まっているわけです。美術の世界でもそういう年齢制限のようなものがなんとなくあります。スポーツと違うのは、"なんとなくある"ということです。スポーツの場合は肉体的な問題による年齢制限ですが、美術の場合は、それがなんなのかよく分かりません。
錦織選手は、5歳からテニスやってるそうです。小学生の頃には全国制覇して、中2でアメリカのテニスアカデミーへ。17歳でプロ転向。18歳でプロの大会を初優勝。現在は、世界ランキング25位ということでした。
この略歴や、世界一を目指している姿を見ていると、なんというか、、、俺は何をやっているんだろうか?もっと真剣に、本気で取り組むべきことがあるのではないだろうか?と、刺激を受けます。そして、妙に腹筋をしたくなったり走りたくなったりもします。しかし、美術の世界で、何をどうすれば、どうなるのかがよく分からないし、何をどうやって頑張ればいいのかも分からない。年齢制限の見えない壁も、あやふやだし、何がより良い作品なのかも分からない。美術が何のためにあるのかも分からない。どうやって食えるのかも分からない。。。だから、"なんとなく"頑張るしかない。正解が分からないから、さぐりさぐり頑張るしかない。
美術の世界でも、流通している作品があるわけだから、理解されている領域もあります。しかし、理解されにくい領域が多過ぎです。もう少し、芸術の自律を進めて、分かりやすくすることも、確かに大切なのかもしれないなーと、、、自由過ぎて不自由になっていたり、何でもアートになり得るという見方によって、自分で自分の首を締めているのかもしれないなぁと、思いました。芸術家が今よりもより頑張れるようになるためには、芸術をもう少しはっきりと規定する必要があるのかもしれません。寝ずに創るとか、めちゃめちゃ磨いてツルツルの何かを造るとか、すっごい考えてフンバッテ何か出すとか、そういう頑張り方しか知らないんですよね。僕は。。。錦織選手のような頑張り方と、それは何か違うと思うんです。僕のは、頑張り方が分からないから、とにかくもがいている、という感じがします。
結局何が言いたいのかというと、、、、
「もっと、カッコ良くなりたい。」
そういうことです。
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by terae-art
| 2012-01-09 02:59
| ┣考え中