中国に来てから3ヶ月が経過しようとしている。
どういうわけか外国に住んでしまっているわけだが、未だにあんまり実感がない。フランスやイタリアに行ったときも、最初の数日は、ちょっとした感激もあったが、今回も同じである。住めば都と言うが、つまりどこも同じだということであろうか。
しかし、実感のなさというのは、場所から来ていることだけではない。特に外国人になっている自分が実感できていないのではないかと思う。なぜなのか分からないが、言葉が通じようが通じまいが、人種が違おうが、僕にとってはあんまり問題にならないからかもしれない。それにこちらにいると、日本人として、外国人として認識されていて、いつも、日本人の一朗だよなどと紹介されたりしているのだが、当の本人は日本人を代表している気持ちが欠けているし、日本人だからと言って何か特別な嫌がらせを受けたりも今のところないことも原因かもしれない。今思えば、中国に来る前にいろんな人から聞いていた、「重慶は反日の人が多くて日本人お断りのレストランもあるよ。」というような、よろしくない情報に僕は興味を持っていた。これは差別を受けることで日本人としてのポジションを自分の中に植え付けることができるかもしれないという期待だったのかもしれない。確かに僕は、様々なサービスをいつの間にか提供されてきたし、殺されたり病気になったり戦争に行ったりもしなかったので、この国の恩恵を受けているとは思う。だけど、どうしてか、あまり愛着がなく、脱出したいなどと常々考えてもいた。甘い考えなのかもしれないが、そうでもしないと、居場所を国や故郷に持つことができないのではないかと考えた。今は中国語のクラスに通っているのだが、クラスメートにパラグアイ人が2人いる。その2人と僕の3人と、中国語を教える中国人の教師の4人しかいないクラスだ。時には欠席があったりして一対一の授業もある。そのパラグアイ人は、授業の度に自分の国のことやパラグアイの人々のことを説明してくれる。一番印象に残っている日は、授業の半分以上をパラグアイのことについて説明していて、中国語のクラスなのか英語のクラスなのかよくわからなくなるほどであった。そういう彼を考えると、パラグアイへの愛を凄く感じるし、やはりパラグアイ人として中国に外国人として来ている意識があるのだろうなあ。と感じる。また、日本にもたくさんあるが、外国人の人たちが集まるバーやクラブもある。そこにアメリカ人と一緒に行ったときにその人が言っていたのが、「外国人がたくさんいることが重要だ。だからクラブに行きたいんだ。」と言っていた。どういう意図で言っていたのか分からないのだけど、その言葉は印象に残った。彼は白人で背が高いし中国にいると目立つ。街を歩いていると、いろんな人に見られているし、時には「おぉ」とか「うゎ」というような声で一歩引くような動作をする人もかなりいる。だから、その発言はそういう人々の視線のことも少しは関係していたのかもしれない。そういった外国人向けのクラブだけでなく、日本人会のような国別の集まりもある。重慶にも重慶日本クラブというのがあって、よく集まっているようだ。こうやって国別や人種別に集まってしまう傾向は、外国人が多数いる地域ではどこにでもあるのだろうけど、僕はだいたいどの場所に行っても馴染めず、部屋に帰りたくなる。それは日本にいてもそういう傾向はあったが、特にそんな感じになってしまっいる。(あ。だけど、日本でもここでも頑張ってコミュニケーションはとってるつもりよ!)
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こちらでは主に英語と中国語とその他の何かしらでコミュニケーションをとるのだけど、それは僕にとってはけっこう高い壁だ。それなりに一生懸命勉強もしてきたし、今もしているし、実践も日々ある。こちらに来れば中国語で喋るしかないであろうと思いきや、けっこう英語を使う。どちらにしても苦労するのだけど、中学から英語をしているわけなので、英語のほうがましなのは言うまでもない。どうにかして伝えるわけだけども、最近はスマホの翻訳アプリがあったりして、お互いに英語が悪い場合でもなんとなくの意志疎通ができたりするものである。しかし、電力やインターネットが、このような人とのコミュニケーションや何にも分からない場所に行くときにも役立つことは皆が知っていることだが、これが良いこととはどうしても思えない。というのも、電力が無かったら死んでしまうような人間にはなりたくないからというのもあるけど、言葉が通じるからといって心も通じあえるとは限らないってこと。それは、僕がなんとなく居場所がないなあと感じるときにいつも思うことでもある。日本にいても中国にいてもどこでもそうだ。ただ、言葉は大変便利なものであるとは分かってきた。言葉が通じることによって様々な要素が関係性のなかに組み込まれて、複雑になり、いろいろな齟齬もきたす。だから、言語には欠陥があるんだろうと思ってきたのだが、それでもやっぱり人は言葉を頼って生きているのだなと外国人の集まりを見ると思うし、意志が通じないストレスというのを解消するには、言葉が一つの手段になることも分かったからだ。そんなの当たり前じゃん。と思われるかもしれないけど、言葉ではない何かがきっと大事なものだし、言葉にとっても言葉ではない何かが大事だろうと考えてきた僕にとっては、言葉を使うというのは凄く難しいし、他の何か別の方法を見つけたいという志向も変えにくいのだ。もちろん言葉は大事ですよ。わかってますよ。でも、Google翻訳だけでなく、母国語以外の言葉は多くの場合翻訳でしかないってこと。それは、下手な英語や中国語よりも、場合によっては不便な言葉になる可能性があるのではないかと考えているので、翻訳に頼るコミュニケーションは良いことだと思いにくい。母国語同士でも意思疎通は難しいことがあるのだから。それは、母国語同士でも、自分の感情を言葉に置き換えていると考えれば、これも広い意味での翻訳になると思うので、やっぱり難しい関係や状況も時には生んでしまうということなのではないかと思う。しかし、母国語については、環境や社会や言葉や問題意識などいろいろなことを共有している人達同士であれば、ある程度言葉を使って理解し合えるだろうという期待はある。外国語もネイティブなみになれば、それは母国語と同じだが、それはつまり言葉が上手ということだけでなく、先に述べたような環境や社会や言葉や問題意識なども共有できていなければ、結局はネイティブ並にはなれないということになる。つまり、生まれた場所というよりも、環境が言葉には重要であるということだから、いくつかの言語を本当の意味で自由に操るというのは、かなり生活環境の条件を整えないと難しいのではないか。
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宿舎に戻る途中に守衛さんがいて、毎日ニーハオ!と元気よく挨拶してくれる。それ以外にいくつかのやりとりもあるのだけど、中国語なのでほぼ何も理解できまない。僕はそのおじさんがどんな人なのか全く分からないのだけど、なぜかその人との少しのコミュニケーションが大変気に入っている。しかしここ1ヶ月ほど見かけなくて、しばらくコミュニケーションしていなかったので、どこか行ってしまったのかなあ、と残念に思っていた。だが、今日久しぶりにその守衛が戻ってきていた。僕は、おお!いた!と思ったし、向こうもなぜか、わざわざ守衛室から出てきて、やたらと何かをしゃべっていた。それから、僕たちの決まりは、会話の最後はティンプトンと言って終わることだ。ティンプトンは何言ってるか分かんないよという意味。それなのに会話してきてくれる。なぜかできあがった決まり文句があることで、わけの分からないコミュニケーションに楽しみが生まれている。なぜだか分からないが言葉じゃない何かがこのおじさんとの間に芽生えているのは間違いない。それは、最初の挨拶の時からだったから不思議である。僕は、恋愛や友達関係になるときも同じ何かが働いていると思っている。
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結局皆が知っている凄くつまらないことをずっと言っているようなのだけど、このような言葉の問題や関係性について僕はけっこう真面目に取り組んでしまっている。中国に来て最初は、やたらと吠えてきて噛みつきそうな犬を見て仲良くなりたいと思ってしまい、毎日餌をやりに行ってみるなど、全然分かってもらえそうにないけど、非言語コミュニケーションについて探ることに真剣なのである。この犬に餌をやりに行っていた頃は、アメリカから来ていた作家が近くにいて、彼に図を駆使しながらこの犬とのコミュニケーションについて説明したりした。他の人にもこの素晴らしい分かりにくい体験のことをお裾分けしようとトライしてみたのだが、その人にはなぜか何かが正しく伝わり、その後彼とはワンワンなどと言い合うような仲になったりするなど、不思議な実践を真剣に繰り返しているところである。
こちらに来る前は、遣隋使の人達はどうしていたのであろうか、などと考えたりしていたのだが、たいして僕のやってることと変わらないのではないかと最近は乱暴に考えたりもする。ワンワンとかしていた遣隋使もひょっとしていたのではないか。遣隋使の全員が中国語ができたとは思えないし、言葉でのやりとりだけじゃないことは、昔から知られているだろうから。でも、違うのは距離の問題がある。当時はちょっとした恋文を木簡に記して送るのだって相当な労力がかかる。というか一般人レベルではほとんど不可能だったに違いない。瓶に手紙を入れて海に投げるくらいのレベルであろう。今はそこが違う。すでにこんな便利な世の中で、無数の面白い何かがあって、寿命が倍以上伸びただろうに、世界の全ての人間とすれ違うことさえできないほど人口はいて、そんな中、それでも僕は何が残された時間でできるのであろうか。。。などと、遣隋使から大きな世界へ視点を移動したりして自分をちっぽけにすると、たいへん虚しくなる。結局今でも僕は、海に手紙を投げているようなもんではないかという気持ちになり虚しくもなるが、海に向かって感傷に浸った遣隋使の誰かともきっと友達になれたかもしれないなという気にもなったりして、それなりに僕も遣隋使をしているような気持ちにもなってきた。謎である。。。そんなことよりも、自分にとって大切な何か1つだけでいいな。と考えたりして、あちこち空をぐるぐる回っている。
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こういったいろいろの試行錯誤が、いや思考錯誤が、きっと作品になるはずなのだが、まだもう少しかかりそう。こんな感じで、何やってんだか分からない例しか今のところ示せないのだが、しかし、そんなんでもありがたいことに、何人かの人に協力してもらうことにより個展をさせてもらえる機会を頂くことに成功した。今回は過去作に中国語字幕を入れ再編集する映像4点と、その他に新しいアイデアもいくつか形にできればなと思っている。
個展は11月6日から11月19日で開催される予定です。
詳細は決まり次第ここに追記します。
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あ。そいえば、文才がないなあと気付き、ここに書くのは控えようとしていたのですが、つい長文になってしまった。おぉ。恥ずかしや。